Scalaコミュニティが広がっていく土壌を作った日本Scala界の父の話を聞きたい
-- 今回は、前回の麻植さんからのご紹介で、水島さんです。まずはじめに、今回水島さんを紹介していただいた経緯を麻植さんからお伺いしたいと思います。
麻植:まず、Scala先駆者といえば真っ先にお名前が挙がる水島さんがここまで登場しなかったことが不思議なくらいで、作為的な何かを感じます!
一同:(笑)
麻植:私が水島さんと初めてお会いしたのが、Scala Matsuriの前身に当たるScala Conference in Japanのキックオフミーティングでした。当時、水島さんが、「そろそろScalaの勉強会の規模も大きくなってきてイベントを開催したいので、運営をやりたい人はいないでしょうか?」と募集をかけていました。そのときは、私自身Scalaにはまりだしてきたところで活発と言える活動はしていなかったのですが、たまたまそのイベント運営の募集を見ていて、イベント運営は好きだったというのもあってカンファレンスの準備から関わらせていただいていました。それで、カンファレンスを開くとなるとスタート時点である程度の規模が必要になると思いますが、その下地を作ったのが完全に水島さんで、日本のScala界の父のように思っています!その辺りの、あるいはそれ以前のScala黎明期については私も断片的にしか話を聞いたことがなかったので、今回お話を伺いたいと思った次第です。
Scalaへの取り組みは自分が大学院生の時から続いています
-- 最初に水島さんの名前を意識したのは、いわゆるコップ本で著者の羽生田さんと水島さんの名前を見かけたというのがきっかけでした。
水島:そうですね、実は自分がコミュニティ活動に参加するようになったのは羽生田さんからの誘いがありまして、そのきっかけになったかどうかは若干記憶が曖昧なのですが、イベントが2007年に開催されたLL魂でした。その当時、自分は大学院生だったので毎年のようにLLイベントに行っていました。
麻植:法林さんが主催されていたイベントですよね。ある意味では、Scalaが普及するきっかけとなる活動を法林さんが行っていたんですね。
水島:LL魂は自分がScalaに関して初めて主体的に発表したイベントで、Scalaで色々試していて面白いなと思ったことを発表するために参加していました。それとほぼ同時期にScalaに興味を持っていた豆蔵の羽生田さんに、一緒にScalaコミュニティを作らないかと誘われたのを覚えています。そして、Scala-beという名前で、コミュニティの結成イベントを豆蔵さんのオフィスで開催しました。それが日本で第一次に注目を集めたScalaコミュニティだったのかなと思っています。自分はそのコミュニティのイベントをホスティングしていたという感じです。
麻植:その当時、コミュニティに参加していた人達の規模感はどれくらいですか?
水島:30人以上はいたと思います。
麻植:その時点で結構な人数がいたんですね!
水島:意外にも人が多く集まったという印象だったのですが、その頃から色んな人が目をつけていたのかと思います。コミュニティ結成後は、そのイベントを乗っ取ったわけではないですけど、豆蔵さんのオフィスをお借りして趣味でScala関連のイベントを活発に開くようになりました。また、Scala-beとは関係ないのですが、個人的なコネで東京大学の研究室をお借りして、2008年にScala勉強会@関東というのを始めました。そこで、恐ろしいことに、いま考えてもなぜそんなことをしたのか分かりませんが、勉強会の内容をほぼすべて自分の発表で埋め尽くしてしまいました(笑)
麻植:よくそんなにネタがありましたね(笑)
水島:Scala勉強会@関東では、参加者の多くが自分の知り合い繋がりだったというのもあって、けっこう濃い質疑応答ができていました。その時に、発表が終わってから質問するのはもったいないなと思って、発表の途中で質問を受け付けるようなスタイルでやっていました。正直に言うと発表する側は多少疲れはするのですが、その方が面白い議論ができるなというふうに感じていました。
麻植:水島さんはそういったライブ感を意識した発表をすることを重視していますよね。Scalaの勉強会では質疑応答だけではなく発表中にもTwitter上で色んなツッコミを入れるようなこともよく見かけますし。
水島:自分がTwitter上でScalaについて活発にツッコミを入れていたのは2010年が一番すごくて、Scalaでキーワード検索して反射的にツッコミを入れる様がボットみたいだという話もありました。今となっては自分以外にもScalaというキーワードに瞬時に反応してコメントする方も増えてきましたが、その辺のカルチャーというか土壌を作ったのは自分の影響があるのかもしれません(笑)
Scala Days初開催の楽しさは今でも印象的です
水島:2010年までは色々勉強会をしたりIT Proで記事(水島さん執筆記事)を書くなどの活動を主にしていましたが、2010年になるとScala Days初開催の告知があって、「これは出るしかない!」と思っておもむろに発表を応募して審査が通ったので、「これでスイス旅行だ!」ということで参加しました。その時は、pegexという正規表現のようだけどより強力なマッチングライブラリをScalaで作ってみたという話をしました。また、英語で発表というのはなかなか大変でした。
麻植:英語で発表というのは相当ハードル高いですよね。しかも、その当時Scala関係の知り合いも少なかったでしょうし。
水島:そうですね。でも、Scala Days自体はとても楽しくて、「Scala Daysのこの興奮と熱気を日本に伝えるんだ!」という妙な使命感みたいなものがありました。そのときの様子を、日本語でツイートしまくっている人がいるというのが話題になりました。
-- そのとき思い出に残っていることなどはありますか?
水島:まず、Odersky先生がキーノートスピーチで壇上に上がるときにこけるという、笑ってしまうような出来事が印象に残っています(笑)あと、そのときはScalaが2.8になるというのがビッグニュースで、Scalaが新しくなることに対する興奮と熱気であふれていたのが印象的でした。
麻植:他にはどんなニュースや発表などがありましたか?
水島:いよいよScalaを使ってみましたという実例や、どうやって組織に浸透させていくのかという発表が多かったです。どうすればScalaを上手く企業に導入できるのかという話題はかなり盛り上がりました。
-- そのときはどういった解決策や案があったんでしょうか。
水島:まず、小リスクで始めようというような趣旨の話がありました。モデル、ビジネスロジック、アプリケーションエンドポイントなどどこで使っていくかという議論があると思いますが、まずはUnit TestをScalaで作るというところから少しずつScalaを浸透させていくのが導入しやすいのではという案がありました。その辺の、冒険的なことは避けようといった考えは変わっていないと思います。
そういえば、そのときの大イベントを他にも思い出したのですが......。Scala Days二日目あたりに、スイスのエイヤフィヤトラヨークトル火山が噴火して、火山灰がヨーロッパ中に広がった影響で交通が麻痺して帰路が延期になってしまいました。ニュースでは一ヶ月くらい足止めを食らうのではということも報道されていました。
麻植:それは、大変ですね......。いつ復旧するか分からない中でどうしていたんですか。
水島:ほとんどの参加者は足止めを食らっていたわけですが、実はそのとき、Odersky先生が一緒にランチしませんかとTwitterで告知するという粋な計らいをしてくれて、そのときまでは気分が沈んでいたのですがランチに参加して元気を取り戻しました。
そういえば、初開催のScala DaysはEPFLで開催されたのですが、Scalaのロゴのモチーフになっている螺旋階段の写真を撮ったことや、螺旋階段を下りながら帰ったのも記憶に残っています。それがとても貴重な体験だったのでまたEPFLでScala Daysを開催してほしいと思っています。
麻植:今は規模が大きくなって難しいのかもしれませんが、私もEPFL行ってみたいです。ちなみに、その当時での参加者はどれくらいでしたか。
水島:だいたい150人くらいだったと思います。規模感からいうと初回のScala Conference in Japanと同じくらいですかね。
色々な人と関わりながら無頓着にScalaの普及活動に情熱を注いでいました
水島:Scala Daysについては、 トラブルなどがありながらも研究室見学など楽しんでいました。一方その裏で、名古屋でScala座というイベントをやろうという話しがScala Daysの開催前からあがっていました。そのイベントには、今でもScalaを使っている西本圭佑さんや、今は観察者的なスタンスでやられているゆるよろさん、証明言語などをやられている今井宜洋さんなどが参加されていて、これをきっかけに知り合った人が多かったです。
麻植:そして、その行ってきたブログを書いたのが吉田さんなんですよね。
水島:そうですね、直接吉田さんとお会いしたわけではないのですが、ここをきっかけに自分を認識してくださった方が結構いるらしく、これを機にScalaコミュニティを都内からもっと広げていこうという活動が活発化していきました。
-- 少しずつ歴史が紐解かれていきますね。
水島:そういえば、Scala黎明期の話をするなら触れないわけにはいかないのが、Scala勉強会@東北という勉強会です。初回が2008年で、主にオンライン上でやっていたのですが、開催回数は合計100回を超えてます。これを主催していたJCraftの山中淳彦さんがすごい方で、一人でLiftのコミッターをやられていたり、WiredXなんかはボーイングに搭載されたとも聞いています。その、技術者としての腕もさることながら、100回以上の勉強会を続けられていたというのがすごいと思っています。
-- 水島さんもオンラインでその勉強会に参加されていたんですか?
水島:そうですね。興味のある人がマイペースで参加するという感じでやっていたところに、その当時は今よりも遥かにScalaに対する使命感が強かったので参加してましたね。
麻植:そういった、色んなところに行かれて登壇をするなどの活動を精力的にやられているところが水島さんのすごいところですよね。そのパッションはどこから来たんですか?
水島:自分でもわりと謎なところはあります。最初に一回勉強会をやってみようというのは行き当たりばったりだったのですが、段々とScalaの思想を理解していくと、色々妥協した点はありつつも設計思想としてとても良くできた言語だなという実感がありました。また、その当時は他にScalaと比較できる言語が無かったということもあり、そういった点でScalaに対して惚れ込んだというのが大きいですね。
麻植:でも、Scalaに惚れ込んだあと、それを日本各地に飛んで発表しに行くというのはまた一段ジャンプがある気がするのですが、それはどうやって乗り越えたんでしょうか。お金も時間もかかりますし、そのパッションは凄いことだと思うのですが。
水島:そこは自分が大学院生だったので、無頓着に思いきりScalaに投資できたのかなと思っています。大学院生にもなると、自分の研究と後輩の面倒を見ることくらいにしか時間を割くことがなくて尚且つその配分は学生に委ねられていました。なので、思い切りScalaに時間を使うことができました。その時間をもっと研究に費やした方が良かったのかもしれないなと思ったりもしますが(笑)
麻植:いやいや。それが今どれだけの仕事を生んでいるのかという話になるんですけどね(笑)じゃあ、その当時、水島さんが大学院生だったというのも良かったんですね。
水島:そうですね。大学院生時代のそういった活動があったから今の自分のポジションがあるのかなとも思いますし、大学院生でなければそれだけ続けられなかったのではないかと思います。
就職した後もScalaの普及活動を継続していました
麻植:実際、そのあと就職された時は仕事でScalaを使っていたんでしょうか。
水島:はっきり言うと、現在のドワンゴの職に就くまでは基本的にScalaを仕事で使うことはほとんどありませんでした。最初は、VMをカスタマイズしてお客さんに納品するといった、少し変わったビジネスモデルの仕事をしていまして、CやJavaを使っていました。ただ、少しだけ、テストケースを書くときにScalaを使っていました。
麻植:では、基本的には仕事でScalaを使うことはなかったんですね。
水島:ただ、本の執筆活動は行っていまして、今は絶版になってしまったのですが、2011年に「オープンソース徹底活用Scala実践プログラミング」というScalaの本を書いていました。この頃から日本語でScalaの本がちらほら出てき始めていて、自分達も執筆しようということで取り組んでいましたが、就職してすぐに執筆作業をやっていたので書籍執筆は大変だということを当時感じていました。
2011年の後半になると日本Scalaユーザーズグループの設立に伴って、今のScalaコミュニティでよく名前を耳にする方々が新規参加者として増えてきました。例えば、かとじゅんさんや吉田さんがいます。また、時期は前後するのですが、別途、吉田さんもScala勉強会@渋谷というのをやられていました。
麻植:今のrpscalaに当たる勉強会ですね。
水島:はい。そういった感じの勉強会を開催したり、会議で集まったりしていました。また、ニコニコ超会議でScalaの話をするなどの活動をしながら、Scalaの布教活動としてネット上で荒ぶっていました(笑)2011年だったと思うのですが、その年が一番荒ぶっていたと思います。間違いに対して突っ込みを入れまくっていたりしたので、当時を知っている色んな人の日記に自分の名前が載ったりしていました。
麻植:水島さんが荒ぶっていたエピソードと言えば、Matzさんと水島さんのやりとりがtogetterでまとめられていたのが印象的なのですが。
水島:Scalaの複雑性についての話についてですかね。RubyとScalaを引き合いにした複雑性と難しさの話をしてました。この辺で一つ得たものがあったとすれば、複雑さと難しさは違うという話があります。Rubyは、文法的には比較的難しいのですが、それを扱うのは難しいとは思われてないですよね。
麻植:Odersky先生もいつもそこを強調していて、「simple is not easy」ということを言っていますね。Scalaの設計自体はシンプルな作りにしているものの、それを扱うのが簡単という訳ではないという議論があります。
水島:そういえば、この時は2010年なので自分がまだ大学院生のときですね。
-- 大学院生最後の荒ぶりというところですかね(笑)
水島:Matzさんとは元々面識があって、わりと気軽に絡めてはいたつもりなのですが(笑)
麻植:もともと面識があってある程度信頼関係があるということを知らない人から見ると、とてもドキドキするやりとりだったと思います。ちなみに私もその当時とてもドキドキしながら見ていた記憶があります(笑)
麻植:ちなみに、先ほどは荒ぶったという風にネタにして表現をしてしまったのですが、それは間違った情報を流通させないという文化が根付くきっかけにもなったと思うので私はポジティブに捉えています。
水島:それは今の自分の行動にも無自覚的に影響していると思います。間違ったことがあったら容赦なくツッコミを入れる文化みたいなものが日本のScala界隈に根付いたのかなと思います。
麻植:技術的な突っ込みを入れる時に、それは人格攻撃とは全く無縁で、あくまでも正しさを追求する為の共同作業であるというカルチャーは、私にとってはScala界隈に入ってから自然と馴染んでいった気がします。
水島:技術的な間違いに対する突っ込みは決してネガティブなことではないと思っていますが、一時期はScalaが怖いといったような内容をTwitter上でよく見かける時期もありました。
一同:(笑)
麻植:そういったイメージはScala初心者への敷居を高めてしまう印象があるのかもしれませんが、その一方で、初心者向けのイベントも水島さんがよく開催されていたりと、初心者に対して門戸をむしろ広げる活動をされていましたね。オープンマインドで色々議論できるカルチャーを作る為に、そういった考えが受け入れられると良いなと思います。
水島:学術研究においても、間違いの指摘をする際は比較的端的な言葉でやりとりされることが普通ですし、間違っていると言われたら謝らなくてはいけないなどとあまり深刻に考える必要はないと思っています。悪意があって言うのではなく単純に指摘をしたいだけであるというのが広がれば良いなと思います。
麻植:そういう技術的なツッコミをネタにしてしまうと余計な誤解を生んでしまうことはあるのかもしれないなと、自分でも反省しないとなと思っています。
水島:自分もついネタにしてしまうこともあるのですが......。
一同:(笑)
麻植:Scalaに対するイメージは色んな人がそれぞれの考えをお持ちかと思いますが、特にScalaの初心者向けに草の根的な活動をしている方々も最近は増えていますよね。
水島:最近は、特にScala関西の方々が精力的に活動されていますよね。
麻植:今度、10/8(土)に開催されるScala関西Summit関連だときの子さんは初心者向けの勉強会を積極的に開催されていますね。Scalaのコミュニティー活動も日本各地で活発になっているのを感じます。
水島:あとは、ヌーラボの縣さんが中心になって開催されたScala福岡なんかもありますよね。九州コミュニティも徐々に活発になっているという印象です。
最近はScala教育に力を入れています
麻植:最近の水島さんの興味はどの辺りに向かっているのでしょうか。
水島: 最近だと、ホームページが公開されてしばらくになりますがDottyの動向が気になっています。今のScalaに関しても継続的にウォッチしてコントリビュートしていきたいとは思っています。将来を見据えて言うのなら、DottyがいずれはScala仕様として置き換えられるようなので、そこに先駆けてコントリビュートしていくのが良いのかなと思っています。
麻植:この前、Scala Daysに行った先でOdersky先生と立ち話をした際に、Dottyはいつくらいに入るのかと聞いたところ「Hopefully 3.0」と言っていました。なので、もっと先の話になる可能性はあるなと思っています。
水島:ホームページでも「it will be - eventually」となっているのでまだ先の話かもしれないですね。一つはDottyで、もう一つはScala Nativeですかね。中長期的な目線で情報を追っていってコントリビュートしていきたいところです。それらと並行して、Scala教育に関する取り組みはを更に洗練させていきたいですね。
-- そういえば、ドワンゴさんがScala新卒研修の資料を公開されたと思うのですが、その後の反応はどうだったんでしょうか。
水島:反応はそんなに悪くないと思いますし、よくできた資料ですねというようなコメントをTwitter上でいただいたこともあって嬉しかったです。公開したからには、色々なフィードバックをもらいながら改良していきたいです。また、公開した資料をきっかけに、とある大学の方がインターンシップに応募していただいたこともあり、公開した意味はあったと思います。
麻植:資料作成には水島さんはどれくらい関わったのですか?
水島:公開されている資料のうち、5分の4くらいは書いたと思います。また、作成した資料を元にして自分が社内のScala勉強会を主導したりもしています。あとは、ドワンゴが設立した通信制高校であるN高で、オブジェクト指向の初学者向けにScalaを使った講義を開催する話があるのですが、その教材のレビューもしています。
麻植:では、最近の仕事では、そういったScala教育などの方面に注力しているということでしょうか?
水島:そうですね、実際にはScalaの研修資料の継続的メンテナンスとそれらを社内で主導してくこと。さらに、自分の好きな研究をやったりしています。自分の他にも江添さんという方も研究的なことをしているのですが、そういったポジションにつけるのはドワンゴのScalaエンジニアの層の厚さがあるからこそだと感じています。これで給料をもらってよいのかという葛藤はありますが(笑)
-- 研究開発や教育という立場もとても立派なことだと思いますよ。
水島:もっと堂々と自身を持ってScala教育と研究に携わっていますと言えるように精力的に活動していきたいところです。
-- ちなみに、Scalaの社内勉強会というのはどういった具合で開催されているのでしょうか。
水島:今の所は週に一回ペースでやっていて、チームのメンバーがScala再入門のような形で資料を読み進めて、質問があれば随時対応するようなことをしています。実際に資料を読み上げていると新たな気づきもあるので、眺めるだけではなく実際に触れてみるということが大切だと感じています。
麻植:ちなみに、新卒の方がメインでその資料を利用していると思うのですが、そちらの研修はどういった具合で進んでいるのでしょうか。Scala教育で困っている色んな会社さんの参考にもなると思います。
水島:今年はScala強い勢の方々がいたのであまり困らなかったのが正直なところです(笑)
麻植:ポテンシャル採用のような方達に向けてはどのように教えるのでしょうか。
水島:そういった人たちには、できる人が教えるという形でした。また、新卒の方が分からなかったことをまとめて社内Qiitaのようなものに書き込むなどしてます。社内で新卒入社組でお互いにサポートしてくれているのが助かっています。
-- 新卒の方々の他にも中途の方など様々な方が入社されると思うのですが、そういった方々に水島さん自身が刺激を受けることはあるのでしょうか。
水島:入社時点ですでに競技プログラミングなどで実績を残している方などはほんとうにすごいなと思っていたりします。あとは、社内Slackの技術チャンネルで技術について語り合うなどで刺激を受けていて、ドワンゴくらいの規模があって色んな人がいるからこそだと思っています。技術チャンネル以外にもアニメチャンネルなどもあります(笑)
プログラミング言語に対する興味は尽きないです
麻植:実際、今でも色んな言語を触っていると思うのですが、他の言語で興味があるものの中でランキング一位はズバリなんでしょうか。
水島:いまのランキング一位だとRustですかね。一つは、メモリセーフでありながらGCのようなパフォーマンスの不確定要素は排除しているというところです。Rustを使っていると驚くのが、なぜこれがコンパイルエラーになるんだ!みたいなものが沢山出てきます。例えば、オブジェクトを引数に渡して、渡した後にそれを参照するだけでコンパイルエラーになります。要するに、引数に渡した時点でリソースを使用したとみなして、再利用できないというリソース管理の方法を型システムによってプログラマに強制しています。
麻植:そういった仕組みは、例えばどういった用途に向いているんでしょうか。
水島:汎用プログラミングに使うのが難しいということはありますが、一方でシステムプログラミングに極めて向いていると言えます。つまり、OSを書く、システムコードを呼び出す、あとはブラウザの下のレイヤを実装するなど従来Cが適していたと言われている領域です。システムプログラミングではパフォーマンス特性を把握しやすいということが重要なので、性能の不確定要素を取り除くための設計は助けになると思います。
麻植:Rustは関数型界隈でも時折話題に上がるかと思うのですが、型クラスを言語としてサポートしているんでしたっけ。
水島:traitというのがあって、幾つかの制約はあるものの基本的には型クラスと同等の機能を持っています。型クラス勉強会というのが今度開催されるのでそちらでも詳しい話をしようかなと考えています(公開日現在は終了)。
これからに向けて
-- では、最後に水島さんの方から一言いただけますでしょうか。
水島:自分が一番適していた役割はある程度果たしてきたのかなとは思うのですが、今後もScalaの普及活動およびScalaのより良い学習方法などを考えることを主軸に活動していきたいと思います。また、Scalaに限らず、プログラミング言語の研究や好きな構文解析への探求なども継続していきたいと思います。
-- 次回の話をしたいところなのですが、この企画を開始して暫くしてから、水島さんをラストに迎えて終着という思いがありましたが、まさかこんなにも早く水島さんを迎えることができるとは思ってもいませんでした。企画をやっていてこうやって色々なお話を聞ける場が楽しいので、続けたい気持ちもあります。また、一旦区切りをつけて違うテーマをつけてシリーズで始めるのも、メリハリができてアリなのではないかとも考えています。読者の視点も踏まえ、ご意見などいただけると嬉しいのですが、どう思いますか?
麻植:私も、水島さんを紹介するにあたって、本当に今紹介しても問題ないのかと確認してしまいました(笑)
水島:真のラスボスとしてOdersky先生を紹介して、Scala先駆者インタビューに続く新たな企画を相談しに行くというのも面白いかもしれないですね(笑)
麻植:海外に目を向けるというのも面白いですね。ここらで一旦、先駆者という視点を離れて新しい企画を練るというのはアリだと思うのですが。
-- なるほど。ではその辺りも踏まえて、水島さんが思うScala先駆者の方でこのシリーズを締めくくらせて頂いて、次の企画を考えるなどしていきたいと思います。
水島:では、前回と今回ではScala Matsuriつながりで来たので、少し趣向を変えて、ドワンゴ繋がりもあってScalaをプロダクションで積極的に使っていくという面で先駆者だと思っているかとじゅんさんを紹介したいと思います。
-- ありがとうございます!本日は長時間どうもありがとうございました。
出席者
- インタビューイー 株式会社ドワンゴ/一般社団法人Japan Scala Association 水島
- インタビューワー アットウェア 浅野・三嶋、 株式会社BONX/一般社団法人Japan Scala Association 麻植
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